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建寿御前日記 第四段「番のさだめ」 [【建寿御前日記(本)】]

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珍しく「建寿御前日記」を着々と更新してます。
先週の「清盛」の予告で建春門院さまが出てきてましたね!
しかも誰に対してだか知らないけどあっかんべーをしてました。

「清盛」での後白河院は今のところ傾奇者なので、二人のやり取りがどんなものになるのか楽しみです。

【第四段 本文】 

あさゆふさぶらひし人は、定番の女房とぞいひし。ありつき、やすらかにふるまひなして、若き人々などいひをしふ。さらぬは、番とて、月まぜに候ふべしとおぼしけれど、年のはじめ、ころもがへ、五月五日、七月七日などのやうの、ひひ二との御はななとには、さながらさぶらふ。上臈は、御前につづきたるふたまとて、七條どののふたむねにつづきたる寝殿の、北の廂の西のはしなり。人すくなき時は、このふたま、おほかるをりは、西のひとまをあけあはせて、うちとくるよなく、そでつま、うちみだれず、つくろひゐたり。

中臈よりしも、これにつづきたる臺盤所に、おなじさまにてさぶらふ。近うさぶらふ人は、ひんがしの臺盤所とて、むかひたるかたをとほる。いりたちの人々などはそれにゐる。この上臈のさぶらふ二間には、しげきをりは二三日、まぎらはしきほどなどは四五日になる時もありき。

【訳】

朝夕お仕えした人は定番の女房と言った。御所の生活に慣れ、いかにも穏やかにふるまって、若輩の女房などを指導する。そうでないのは番と言って、ひと月ごとにかわるがわるにお仕えせよとのお考えであったが、年の初め(一月一日)、衣替え(三月三日)、五月五日、七月七日などの、「ひひ二との御はななとには(この部分不詳)」、交代しないでそのままお仕えする。

※ひひ二との御はななとには→「(前から続いて、~の)日々、二度の『御花(おんはなな)』などには」の意味との解説も。
「二度の御花」とは後白河院によって始められた五月と九月の供花会のこととあり。

上臈女房のいる部屋は、女院様の御座所に続いた二間で、(女院様の御所である)七条殿の二棟に続いている寝殿の、北の廂の西の端である。人少なである時は、この二間を使い、多いときは、西の廂の一間を先ほどの二間と合わせて開けて、気を許すような時もなく、袖の端も少しも乱れず、服装を正して控えていた。

中臈より下の女房達は、先ほどの二間に続いた台盤所に、同じようにして控えている。近くお仕えする女房は、東の台盤所といって、先ほどの台盤所の向かい方にある部屋を通る(=部屋に入るの意味)。親しくお仕えする人々はそこにいる。この上臈の控えている二間には、御用の多いときは二三日続けて、さらに忙しいときは四五日続けて控えていることもある。

【コメント】

今回は、お側にお仕えした女房の勤務システムとそれぞれどこの部屋に控えてたかって話です。
文章に起こすと面白くない内容で。
こんなのは端折っちゃったほうがいいのかも。
ただ、こんな一寸した文章にも、建寿御前の「私たちはそんじょそこらの女房とは違うのよ」という自意識が感じられて、そこが面白いと言えば面白いかもですね。

この建寿御前日記、全部で七十段あり、できれば「清盛」が大河である内に終わりたいと思ったのですが、よく考えたら、そのためにはひと月に九段位記事にしてしていかないといけないという。
常日頃、月に5、6回しか更新しないのに絶対無理ですよね。
最近頑張って更新してるけど、それもいつまで続くことやら。

でもまぁ、タイムリーで面白そうな段は順番を入れ替えて記事にしてもいいかなとは思ってます。

★七条殿の図

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これは、本文に出てきた七条殿の予想図です。
本段と「萱の御所の火(第三十四段)」、をあわせて考え、こんな感じだと思います。

母屋→女院がいるところ。
北の廂の西側二間→上臈女房がいるところ。
北の廂の西側二間に続く西の廂→人が多いときに使う部屋。

中臈~下臈の女房の部屋がどこなのか、問題なのですが、
「中臈より下の女房達は、先ほどの二間に続いた台盤所に、同じようにして控えている。」
とあります。
ここで「先ほどの二間」が上臈女房の部屋を指すことには争いがないでしょうから、可能性としては、
1、上臈の二間の東側(北の廂)
2、上臈の二間に続く西の廂のさらに先(西の廂)
という二つが考えられます。

仮に2だと考えると、上臈の部屋と中臈らの部屋の間に臨時の拡張部屋が入ることになり、「先ほどの二間に続いた台盤所」と言えるのか疑問です。

しかし、この文章に続き
「近くお仕えする女房は、東の台盤所といって、先ほどの台盤所(中臈らの台盤所)の向かい方にある部屋に入る。」
とあります。
「東の台盤所」は東の廂にあるのでしょうし、その「向かい方」とは「母屋を挟んで向かい方」ということでしょう。
となると、先ほどの台盤所(中臈らの台盤所)は西の廂にないといけません。

よって、中臈らの部屋は「2、上臈の二間に続く西の廂のさらに先(西の廂)」ということになる筈です。
ただ、そうなると先ほどの、上臈の部屋との間に臨時の拡張部屋が入ってしまうのが問題なのですが、これは臨時部屋なのでこれも含めて「先ほどの二間」と言ったのか、もしくは中臈らの部屋の一部を上臈が臨時に使ったのかどちらかではないかと思います。
正直よく分からないので、後日何か資料でも見つけたら追記します。

 ※上記配置図は「『建寿御前日記』私注(二) 本位田重美」を参考にしています。

【建寿御前日記(本)】・・・訳したらつまんなかったかも。


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kontenten

すごいですね・・・^^;Aアセアセ
古文とは云え、日本語なので理解出来なくては・・・とは思いますが・・・
いえいえ、その前に現代語訳さえ難しかったです(><)
 清盛・・・視聴率低迷しているようですね(w)
吉松さん作曲、舘野先生演奏なので、つい視てしまいますが・・・
やっぱり、ちょっとお話しがマニアックになってきました。
なので、難しいところだけは聴き飛ばしています(爆)
by kontenten (2012-05-10 16:29) 

溺愛猫的女人

こんばんは

宮仕えって今でいうと超キャリアウーマンですよね。
美人で頭の回転も速く、もちろん話術から立ち居振る舞いから〜その他諸々。。。
ただ身分が高いだけの子息なんて馬鹿みたいに思えたでしょうね(笑)

図書館で「平安の饗宴」なるCDを借りました。面白かったら持って行きますね。

by 溺愛猫的女人 (2012-05-10 21:18) 

なおこ

おおお~
【コメント】欄まで行って やっと意味がなんとなくわかってくる私です(汗)
そうそう。 予告のあかんべ~ 気になってたんですよね。
フフフ
テレビ楽しみになってきましたよ~。 
by なおこ (2012-05-11 12:55) 

ぴー太郎

こんにちは♪
清盛、途中で断念してます・・・・時代的には好きなんですけれど、
なんだろう、韓流ドラマで忙しいからかも(笑)日本人としてマズイです(笑)
私も、nakonakoさんの訳でもって内容理解させて頂いています♪
by ぴー太郎 (2012-05-11 16:43) 

nakonako

みなさん、nice&コメントありがとうございました。

kontentenさん、
さすが音楽にお詳しい!
清盛の音楽いいな~って思っていたのですが、やっぱりこれは!って方のご担当だったのですね。
結構最初の方で「野良犬の声がこの面白うもないこの世を変えるまで。」って決め台詞のバックで流れてたサウンドトラックとかすごく良かったです。

溺愛さん、
確かに、「我こそは」って自分の才能に自信のある人は貴族のアホボン(しかも公卿でなかったりしたら)なんて、ゴミみたいに見えるかもですね(笑)
建寿御前のパパ俊成、兄定家は出世は遅かったけど、歌の大家としてその名を轟かせていたから、建寿御前の自意識とプライドも相当だったと思われます。
何て魅惑的なCD!これは興味ありますね~。

なおこさん、
やっぱり、気になりますよね!
建春門院さまは、最初はしがない女房から出発して国母にまで大出世をするわけなんですが、若いころの建春門院さま興味あります。
実在の彼女は、どっちかっていうと美福門院得子さまタイプだと思うのですが、まぁそれはそれ、「清盛」ではそれは忘れて「清盛」の中の建春門院さまを楽しみたいと思ってます。

ぴー太郎さん、
いやいや、これから保元の乱で楽しくなりますからぜひぜひ再挑戦を!
ホントに視聴率がやばいらしいので(笑)
韓流も歴史ドラマたくさんありますもんね~。
韓国の歴史に詳しければ、きっと100倍楽しめそうなのに、nakonakoは韓国史はさっぱり(汗





by nakonako (2012-05-12 10:20) 

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