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建寿御前日記 第六段 「女房の名寄せ」 [【建寿御前日記(本)】]

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第六段は健春門院に仕えた女房の一覧です。
「近習」と「番の女房」に分けて一覧になってます。
お側仕えが23人、番の女房が37人です。

もともと建春門院自身が上西門院(崇徳天皇、後白河天皇のお姉さん)の女房だったことからか、上西門院の所からスライドして建春門院に仕えた人が結構多いみたいですね。

【第六段 本文】

近くさぶらひし人。

三條殿    久我の内大臣のむすめ、源の大納言といひしをりいだしたてて参らせられたりける、ひせとかやと聞えし。母はたけどのとぞいふなりし。

宣旨殿    上西門院よりわたりて、もとは高倉殿とかや。公隆の宰相のむすめ。

冷泉殿    ひとつ御腹の御姉。

堀川殿    あきながの中納言のむすめ。なかたゝ同じ腹。

★新大納言殿  平家維盛の妻成親の大納言別当といひしむすめ。この京極殿の腹なり。十二三にて召されて、二三年ぞさぶらはれし。御所ちかき局給はりて、かぎりなくもてなさせ給ひき。

★内侍殿    御せうとの時忠のむすめ。この人々は色ゆりたり。

右衛門督殿  基家の妹ときこえき。これも上西門院よりまゐりたり。母はかほる督殿とかや。 
 上西門院宣旨

小宰相殿   兵部卿信範のむすめ。

帥殿     備後の前司すゑかぬのむすめ。

中将殿    大宮亮としたかのむすめ。

卿殿     としたかの弟の三河の権守とかやのむすめ。これらみな上西門院よりのひとどもなり。

督殿     なにの関白とかやの御むまごとかや。美濃の権守といひける人のむすめとかや、え知らず。

新大夫殿   伊予の守もろかぬのむすめ。母はこの院のひと。をさなくより候ひて、こんがう大夫とぞいひし。一とせよく院にさぶらひし人なり。

丹後     範玄僧正が妹。

大和     

肥後     ふたりながら、御めのと若狭殿のおととなり。

周防     その人どもの姪。今の浄土寺の二位殿ときこゆる人の姉。

三河     肥後がむすめ。

武蔵     若狭殿のせうと院てう法橋とかやがむすめ。検非違使遠業がめ。

常陸

和泉

伊賀     三人、むさしが子供。常陸がててはあらず、二人は同じてて。いづれも上西門院に候ひける民部の大夫といひけるがむすめとかや。

安芸     これは琴ひき。てては知らず。人はみな知りたるらん。

番の女房たち

みくしげ殿  花園左大臣殿の御むすめ、西の御方のおとととて、それも上西門院の人。

一條殿    按察の大納言きんみちのむすめ。頭中将ひとつ腹。せうと、車よせなどして、もてなして参らせられたり。

大納言殿(一) としみちの兵部卿の女。母は皇嘉門院の督どのといひけるとかや。のちには御前になりていだしたてき。中宮の女御まゐりにわたされて、のちに失せにき。

大納言殿(二) 宣旨殿のおとと。母はあそびとかやききし。姉の子にして参らせられたりしかば、のちに色ゆるされき。

中納言殿

★民部卿殿   あきときの中納言中むすめ。女御の宣旨のをり参りて、もてなされまゐらせけるほどに、しげのりの、いかにとかや、しばしひき入て、又あねまゐりて、いままゐりとて、みかは、かぎりなくもてなししほどに、時忠のうへになりにき。この六人ぞ色ゆりたりし。

按察殿    別当入道これかたのむすめ。母は大貳佐、このごろの別当の三位殿なり。

左衛門督殿  雅頼の中納言の女。母いへなりの中納言女、御前ばらときこえし。年老いてきけば、人の上臈と思ひげなりけるを、さも知らざりけり。男がらかはるにや。

別当殿    いへあきらの三位の女。廳の年預せし宗家が養ひぎみにて、めでたくしたてき。

権中納言殿  すけながの中納言女。

新中納言殿  琴ひきの安芸がむすめ。てては信頼の右衛門督。

兵衛督殿   もろなかの中納言女。ててのしたてたるにはかなかりかるとかや。

新宰相殿   ちかたかの宰相のむすめ。いへみちの宰相のはなれたる人とぞききし。

宰相殿    大貳重家の女。母、家成の中納言女。

三位殿    ちかのりの宰相の妹とかや。

新三位殿   たかすけの三位の女。こゑ、みめよき人を好ませ給ひしに、世に知らずうつくしきと聞えて、もてなされまゐらせき。

伯の督殿   あきひろの伯の女。とばりあげにて色ゆるされたり。

治部卿殿   帥殿のおとと。これのみぞ姉のつぼねに、ひとつにゐてわれといでたつとも見えざりし。

左京大夫殿  ぜんち法印の子とかや。尼がてての子になりて参りたりし。母は衛門佐なり。

新中将殿   さい京大夫さだたかの女。母は三河の内侍。これまでは織物の唐衣なり。このごろたかやすの三位のめとかや。

大貳殿    一條三位なかのりがむすめ。もとは中臈なりけるが、てて上達部ののち織物着る。

★今まゐり   康経の女。かぎりなくかしづきし。幼くて、中納言三位殿の子になりて参りて、上臈と申ししを、許されねば名もつかず。唐衣は、あけくれ、いとゆふむすび物などを着て、りうもんをばきず。上臈の二間にまじり居て、つぼねはたてねど、おして几帳をさしき。上臈はつぼねをたてて几帳をさしき。中臈よりはつぼねもたてず。几帳もささざりき。
これは、このごろきく新院の御めのと輔三位殿なり。

小弁殿    兵部大輔ともちかが女。今の中宮の宣旨。このごろ頭弁とかやの母よ。

刑部卿殿   皇后宮亮すゑつねのむすめ。母はとし道の大納言殿の母のおとととかや。

左衛門佐   院の御方より参りたり。そのてておぼえず。

右衛門佐   高松の院の女房。長慶得業がむすめ。このごろのむねつねの中将の母なり。親しきとて、尼が今参りせし車よせなどしき。

少納言    何とかや筑前の阿闍梨かくけんといひしが妹。

新少納言   りうか法橋とかやいひけるがむすめ。

備後     え知らず。

加賀     これも。

尾張     のぶたかがむすめ。このごろまでも残りて聞こゆめり。

長門     検非違使やすつながむすめ。

伯耆     もとなががむすめ。のちは伯の三位のうへ。このごろは斎宮の御めのとにて失せにき。

津      熊野の別当湛快が女。

土佐     八幡の別当がむすめ。

紀      武蔵の中納言知盛のめのとごとぞ聞きし。髪よかりき。

すけ     仁和寺の僧の子とかや。ただちかの中納言の思ひ人とてめでたくしたてき。のちにきけば堀川殿の母なり。

 

【コメント】

たいした内容じゃないので、今回は訳は省略で。

★新大納言殿
近習の「新大納言殿」は平維盛の奥さんです。
平維盛は平清盛の長男である平重盛の長男(次男との説もあり)、つまり清盛の孫です。母の身分が低いとはいえ、直系の長子なので上手くいけば一門の跡取りの可能性もあったわけですが、お父さんの重盛が早くに死んでしまい、一門の嫡流は重盛の弟である宗盛にうつっちゃったため微妙な立ち位置だったみたいです。
ご存知の通り富士川の戦いと倶利伽羅峠の戦いで平氏が源氏に大負けしたときの総大将です。
でも顔はイケメンだったみたいですよ。
ちなみに「新大納言殿」のお父さんは藤原成親なんですが、成親卿の妹(新大納言殿のおばさん)は維盛の父重盛の奥さんです。つまり成親卿と重盛、維盛親子はかなり親しい関係だったわけです。
成親卿は平治の乱で藤原信頼方について敗北したのに重盛との縁で助命されたにもかかわらず、その後さらに鹿ケ谷の陰謀事件に加わり、そこでも重盛に嘆願してもらって助命されます。(といってもその後こっそり暗殺されますけど)
重盛卿は君臣の道理をわきまえた忠義の臣みたいに描かれることが多いですけど、一連の流れをみると身内に泣きつかれるとすぐ聞き入れちゃうダメダメな人だってことが分かります。
常に酷薄である必要はありませんが、中央政治の権力闘争の中にある人は必要な時に躊躇なく非道なことが出来る人じゃないと結局自身の一門を滅ぼすことになってしまうんだなぁと実感します。
この点、鎌倉執権職を世襲した北条氏は君主論でも読んだのかってくらいの酷薄ぶりですが、これはこれでひいちゃいますね。泣いて馬謖(ばしょく)を切る時の涙がないとね。

作者との関係でいうと、新大納言殿は作者の姉である京極殿の娘ということなので、作者からみたら姪ってことですね。
ただ、京極殿は成親が鹿ケ谷の陰謀で失脚する前に離婚してるみたいですが。

★内侍殿と民部卿殿、今まゐり
「内侍殿」は「平氏にあらずんば人にあらず(一門にあらざらん者はみな人非人なるべし)」で有名な平時忠の娘です。
時忠関連だと「番の女房」の「民部卿殿」が時忠の妻なわけですが、彼女は後に建礼門院の女房→高倉天皇の乳母と出世します。ちなみにお名前は藤原領子(ふじわらのむねこ)さん。
「内侍殿」は領子さんの子ですかね?時忠には領子との間以外にも娘がありますが、同じ主人に仕えてるのだから領子さんの子かもしれません。

また、領子さんのお姉さんが「今まゐり」ですが、何だか扱いが中途半端ですよね。上臈と中臈の中間というか。
上臈としての処遇を申請氏したが通らず、女房名もつかなかったってことだそうです。

★それはそうと、「清盛」の視聴率がますますヤバイらしいですね。
おかしいな~。保元の乱で盛り上げると思ったのに…。
何で人気が出ないんでしょう。愛憎どろどろ劇とコメディファミリー劇場を一緒に楽しめる面白いドラマなのにな。
興味のある方はぜひ見てあげてください。
さすがに10%切ったら悲しいので。

【建寿御前日記(本)】・・・意外な有名人が女房名リストに入ってて面白いです。


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なおこ

こんにちは~
またまた 勉強になるわ~ てか面白い!
ほんと すべてに対して 酷薄である必要はないのかもしれませんけど 余りにも 優しすぎるのもダメダメなんですね~
先週の 清盛で 身内のどろどろ合戦にすっかりはまって 食い入るように見ていた私
え~どうして視聴率低いんでしょう。 俳優もゴージャスだし 面白いと思うんですけどね~
by なおこ (2012-05-30 13:02) 

kontenten

清盛・・・有名でない人物が多過ぎるのかも知れません(w)
いえいえ、歴史に強い方なら知っていても、巷の凡人には
清盛と頼朝や牛若丸くらいしかわからないのだと思います。
でも、やっぱり後白河は・・・やってくれますね・・・期待を外しません♪
タッキーの義経も平幹二朗さんが後白河ですごいキャラでした(^^)
音楽も吉松隆なのでマニアックなのかも知れませんね^^;Aアセアセ
by kontenten (2012-05-30 15:46) 

溺愛猫的女人

こんばんは

図書館から借りた「3時間で分かる平清盛」を読み終わりました。
激動の人生でむちゃくちゃ面白いんですけどね。
大河ドラマ好きの年配の方にいまいちなのかしら?

それにしてもnakonakoさん、すごいわっo(=^▽^=)o
by 溺愛猫的女人 (2012-05-30 20:37) 

空楽

ご訪問ありがとうございます。
by 空楽 (2012-05-31 08:51) 

nakonako

みなさん、nice&コメントありがとうございます。

なおこさん、
ね~、清盛おもしろいですよね。
合戦がしょぼかったと言われてるみたいですが(笑)
でも、実のところjんhby6tあんな日本の歴史を塗り替えるような合戦だったのに、戦ったのって数百騎なんですね。
近代戦の規模になれているとしょぼい感が・・・。
来週こそ視聴率が上がってほしいけど、来週はサッカーと被るとかなんとか。やばいですね。

kontenntenさん、
確かに、後白河天皇と崇徳院はまだしも、藤原摂関家の忠通、頼長あたりはマイナーかもしれませんね。
大河サイドもそれば自覚しているらしく、摂関家のゴタゴタは極力省略して描いてるみたいですよ。
摂関家はマロがいっぱいいて面白いんですが。

溺愛さん、
あの本むちゃくちゃ面白いですよね!
あんな本が大河のごとにでているなんて知りませんでした。
大河がいまいちというより、テレビ自体が全般的に視聴率がふるってないあおりをくっているような気もします。
大河を毎年見てるわけじゃないので何とも言えませんが、今年は本当に当たりだと思うんだけどなぁ。

空楽さん、
可愛い幕猫ちゃんのアイコンですね。
我が家にも幕猫がいるのですが、人なれしていなくて触れないのが残念です。
にゃんんこが年とるまでには何とかしたいのですが。
by nakonako (2012-06-01 16:14) 

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