建寿御前日記 第十二段 「行幸の折の服装」 [【建寿御前日記(本)】]
【第十二段 本文】
行幸には、ことに、心をつくしたる衣を、上着、唐衣のもんなどは、かはらず、わざと同じもんを、唐衣をば小さくて、上着はなべてのほどにてなど着あひたりき。それも、おとなは、ただ三日おなじほどなるもあり。若きは、唐衣に紐つけ、花結びなどしたるも見えき。
【訳】
朝覲行幸のおりには、特に気を使って用意した衣を~その衣は表衣、唐衣の文様は同じで、わざわざ同じ文様を、唐衣のを小さく、表衣のは通常の大きさにしてなどして~皆で着た。
それ(=朝覲行幸の時の衣)も、年配の者は、単に三が日の装束と同じである者もいる。
若い者は唐衣に紐をつけ、飾り結びなどをしているのも見えた。
※行幸→天皇の外出のこと。以前は、天皇、上皇、法皇、女院などの外出を区別せずに「行幸(みゆき)or御幸(みゆき)」と言っていたが、中世以降は、
・行幸(ぎゃうごう)→天皇の外出
・御幸(ごかう)→上皇、法皇、女院の外出
という使われ方をする。
cf)太皇太后、皇太后、皇后の三后、東宮、東宮妃の外出は「行啓(ぎゃうけい)」という。
※朝覲行幸→朝覲(ちゃうきん)とは、天皇が院、女院へする挨拶の儀式。朝覲のための行幸を「朝覲行幸」という。
朝覲は正月の他、践祚、即位、元服の時に行われ、それ以外には臨時に行われることもある。
【コメント】
今回は天皇が院御所(もしくは女院の御所)へ正月の挨拶にやって来た時の様子です。
そんなに長くないのでたいした内容じゃないのですが、「行幸、御幸」「行啓」の区別は受験的には大切だったような記憶が。後、
・奏す→天皇、上皇に対して「申し上げる」
・啓す→三后(太皇太后、皇太后、皇后)、東宮に対し「申し上げる」
もセットで覚えておくってやつありましたよね。懐かしいですね。
唐衣と表衣に、大きさだけ変えて同じ文様をつけるってオシャレですよね!
上の衣の方が小さい模様って何かいいなと思います。
若い子は唐衣に紐をつけて飾り結びにしているということですが、唐衣の襟に上から下に沿って飾りの飾り紐を垂らしていたということです。
★さて、先週の清盛、またまたよかったです。
由良御前が亡くなるまで源氏の摘妻として誇り高かったところとか、それでも、源氏の誇りを投げ打ってでも平氏のところへ宋の薬を取りに行ってくれようとする夫義朝に「あれ、殿らしゅうもない。されど、うれしや」っていうセリフとか。
来週は平治の乱なので、その前ふりとして信頼が源氏を巻き込んで二条天皇の側近達と「信西憎し」で結託していくところが描かれてました。でもこいつら信頼+義朝を裏切るんですよね。
最後のシーン、信西のところへ源氏の軍勢が迫り来る様子が、だんだん高くなる地響きで表現されていて素晴らしかったです。
【建寿御前日記(本)】…遠い昔の受験の知識が。
ホント・・・易占に使う細い棒みたいなモノを並べて皮算用中に
あの地震のような揺れ、迫力がありましたよね。
さて、行幸・・・最初、人の名前かと思いました^^;Aアセアセ
解説してもらって良かったです(^^)
by kontenten (2012-06-27 08:58)
こんばんは
nakonakoさんの現代訳はとても分りやすく、情景が浮かんできます。
そういえば・・うちの鷹男さまの名前は某小説の東宮からいただいたものでした。
by 溺愛猫的女人 (2012-06-27 20:51)
ほぉ、三日は三が日のことですか。
三日同じ服を着ていたずぼらさんのことじゃないんですね(>_<)
私は受験に失敗しそうです。
by ヨンタロー♀ (2012-06-28 21:25)
えっと…そんなこと…古典の授業の時間に……? き、きいてません(爆)
言葉遣いを間違えると、当時はえらい目にあってたんでしょうね…。
by Rae (2012-06-28 21:52)
あっちゃ~ 習ったんだっけ どうだったか~(汗)
でも 「奏す」 「啓す」って わざとらしく いやみで言ってたような気も(笑)
いや~ そうそう由良御前のシーン 迫真でしたよね。
うちのにゃんこも食い入るようにみてました。
そういえば昨日だかサダオが朝の番組に出ていたんですけど たけし軍団のダンカンのような風貌と穏やかな雰囲気が 信西を 全然感じさせない
!(爆)当たり前ですよね
あ~ 次回が楽しみです。
by なおこ (2012-06-29 07:04)
色合わせやら、紋様やらおしゃれさんですよね。
襲の色目にわくわくします。
by reka (2012-07-08 17:12)