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屋形船もんじゃ [【イベント】]

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溺愛さん主催の「屋形船もんじゃ」に参加してきました!

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溺愛さんの素敵なお着物&帯。
ビールのチャームもnice。

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こちらはりるさんの素敵着物とチャーム。
扇子が素敵♪

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どてを作って・・・

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完成です!美味しそう。

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ちなみに今回のコースはスカイツリーが見えるコースです。

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だんだん近づいてきました。

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アサヒの金の泡とのコラボ。

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最後は真横で止まってくれます。

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そのあと再度川を下って・・・

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最後はお台場の方もまわってくれました。

お天気も暑すぎず、もんじゃ日和でした。楽し&美味しかったです!

【イベント】・・・定例のもんじゃ会。


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建寿御前日記 第十一段 「雑仕御覧と四日の服装」 [【建寿御前日記(本)】]

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【第十一段 本文】

三日、御所の御はしたもの、雑仕をはじめて、つぼねつぼねの雑仕御覧ず。四日、親々など殊にしたつる若く幼き女房は、日ごろ、いまだ着ぬ衣(きぬ)の、上、むらご、そめつけ、摺(すり)、などやうに仕立てたる衣の、物具(もののぐ)かさならぬをぞ着たる。おとなしき、又、ことなる事なき人などは、一日の日の衣などを、物具へぎて着る。おほかた、むらご、そめつけ、などやうの物、上にしたる衣には、物具かさぬる事なし。

【訳】

三日には、御所の下仕えの者をはじめ、それぞれの局の下仕えの者を(女院が)御覧になる。

※はしたもの、雑仕→下位の下仕えのこと。はしたものが童女で、増仕が成女との解説あり。
※御覧ず→いつもはお目見え以下の者を、特別に正月だけは女院が御覧になるということ。多分お言葉はなく御覧になるだけ。

四日には、親たちが特に気を使って支度をさせた若く幼い女房は、普段袖を通したことがない衣で、表をむらご、そめつけ、摺などのように仕立てたもので、裳、唐衣をつけないものを着ている。
年長の者、また、普通の者(親が特に気を使って支度をしているというほどでもない者)などは、一日の日の装束を、裳、唐衣を重ねないで着る。
一般に、むらご、そめつけなどをした衣、(つまり)表に(手の込んだ)施しをした衣(の上)に、裳、唐衣を着ることはない。

※日ごろ→ふつうは「数日間」と訳すが、ここは「いつもは、普段」の意味。
※むらご(斑濃)→全体のところどころをぼかす染め方。
※そめつけ→藍色の文様を染め出したもの。
※摺→木枠をはめて模様をすり出したもの。

※物具かさならぬ→ここで、本文でいっている「物具」とは何かが問題になります。これは書いてある本によって差があってよく分からないのですが、

1、比礼(ひれ)、裙帯(くたい)、宝冠のこと。
2、1+裳、唐衣
3、2+打衣、表衣

の三通りの可能性があります。

1の場合→むらごなどが施されているのは唐衣
2の場合→むらごなどが施されているのは表衣
3の場合→むらごなどが施されているのは袿(五衣)の一番上の衣

ということになるのですが、一応2によってみました。

さらに、本文では
A.物具かさならぬ
B.物具へぎて
と二通りの表現をしているのですが、本によってはAの物具とBの物具を別の意味に解釈していたりして、ややこしいです。
ここでは、A、Bともに2であるとして訳を作っています。

★裳、唐衣と物具装束

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        裳、唐衣                    物具装束

イラストにするとこんな感じになります。
物具装束-「1の意味での『物具』」=裳、唐衣です。

ただ、本文での物具は「2の意味」と解していますので「物具かさならぬ」「物具へぎた」状態は、以下のような感じになります。

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(小袖)→単衣→袿(五衣)→打衣→表衣⇒下は長袴(もしかしたら張袴)
一番上に来る表衣に美しい染め、摺りがなされているということです。

【コメント】

今回は「雑仕御覧」と「四日の装束」です。
ふだんはお目見え出来ないで働いている人たちも、お正月は女院さまに会えるなんて、ちょっといい話ですよね。
現代人の目からしたら建春門院さまはたかだか公家平氏の出身で、あんまりありがたみを感じないかもしれませんが、実際女院に仕えた雑仕女たちにとったら、きっとお目見えはありがたいことだったと思います。

四日の装束は三が日に比べるとくだけてきますが、まだまだオシャレしてます。
個人的には物具装束じゃない方が女房の装束としては綺麗だと思います。唐風より大和風のほうが日本の風土、四季、邸宅にはあっているような気がするので。
女房装束はフォーマルになればなるほど中国風になってるのが面白いです。

★先週の清盛、niceな回だったのですが、特に義朝のへたれっぷりが秀逸でした。
せっかく昇殿を許されたのに周りのお貴族様から「あれが親を切って左馬頭になった義朝よ」と陰口をたたかれ、ライバル清盛に行き会うと、あちらは黒の装束で、自分の緋の装束と明らかな差が・・・。
その上、信西に「保元の乱の恩賞をくれ」と談判に行っても居留守をつかわれ、それならばと待ち伏せて直談判したら「忙しいんで」とシカトされ、茫然自失する義朝。あ~あ、かわいそう。
ちょとうれしかったのは由良御前のコネで嫡子頼朝が皇后宮少進になったくらいですが、その由良御前は病に倒れちゃうし、踏んだり蹴ったりです。
こうしてだんだんと平治の乱につながっていくんだなぁ。
来週由良御前死んじゃいそうなんですよね。ますます目が離せません。

【建寿御前日記(本)】・・・お正月のオシャレに詳しくなりました。


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建寿御前日記 第十段 「正月三日がほど」 [【建寿御前日記(本)】]

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【第十段 本文】

正月一日は、御所にも、うるはしく、打御衣(うちおんぞ)、御張袴(おんはりばかま)、御上着、御小袿(おんこうちぎ)、かさなりたる御衣たてまつる。女房、近習(きんず)たちも、みな、物具(もののぐ)かさなりたるきぬ。

ついたちの日は、紅梅、梅がさね、くれなゐのにほひ、などやうの、いろいろ。二日、ことに仕立てぬほどの人は、つごもりの日、まゐらせたる打出(うちいで)を、ついたちの日は、夜になりて給はりて、わた、例のほどになしてきる。打出は、番などにゐるほどなる、さもあるほどの人々、衣五つ、わた百を給はりて仕立てて、裳唐衣をば具せず、つごもりにまゐらせたれば、ずりやうの廿ぐしてまゐらすとかやいひて、織物の唐衣、白腰の裳、具して、ついたちの日の夜、給はるを、色ゆりぬほどの上臈は、やがて着る。尼などは、唐衣はとどめて、三日、御くすりもて来たる得選(とくせん)、女官(にょうくわん)などにぞとらせし。三日は又、仕立てたる衣ども、物具、ついたちに同じ。桜、山吹、萌黄などを、むねと着る。

三日がほど、御所、西むきの御所へいでさせおはしまして、女房、端のたたみに、南をかみにて、台盤所のひきもののきはまで、たたみ二でふに、三人などゐるほどに、衣のつまどもあふほどに居ならびて、御歯がため、朝餉の物のまゐるを、次第にとりつぐ。片手をつらぬきながら取りて、いま片手に取り渡して、かたはらの人に伝へ伝へ、同じさまに、御陪膳(ごはいぜん)の人までとり渡す。七條殿にては、やがて、昼の御座にて、礼拝果つるままに、このことあり。せばくて、西の母屋(もや)まで、女房、上臈のかぎり居ならぶ。西の廂の障子のほどまでは、中臈もてまゐる。台盤所、台盤のうらうへに、中臈下臈廿人ばかり居ならぶ。

【訳】

正月一日には、女院さまにも美しく、御打衣、御張袴、御表着、御小袿を重ねてお召しになる。女房、側近の下臈たちもみな、裳唐衣よりもさらに着重ねた正装を着る。
一日の日は、紅梅の匂、梅重、紅の匂ひなどの色々な衣装を着る。

※女院は(小袖)→単衣→袿(数枚)→打衣→表着→小袿⇒(下は)張り袴を着ていると思われる。
※「かさなりたる御衣」→上記の衣が重なっているさまをいうのか、上記の一部が縫いとめられた衣であることをいうのか良く分かりません。
※「物具かさなりたる」→裳、唐衣より、より改まった正装(物具装束(もののぐしょうぞく))のこと。裳、唐衣の上に比礼(ひれ)、裙帯(くたい)をまとい、髪を不結って宝冠をつける。
※紅梅…「紅梅の匂」の襲色目のこと。通年使用、祝儀用。紅梅色を基準に薄いものから濃いものへとグラデーションを作ったもの。グラデーションの最後に青(暗い緑)を差し込む。
※梅襲…「梅重」の襲色目のこと。五節~春に使用。紅梅のグラデーション(淡→濃)→紅→濃蘇芳→紫紺の順に重ねる。
※紅の匂ひ…襲色目のひとつ。通年使用、儀式用。紅を基準にグラデーションを濃いものから薄いものへと作り、最後に紅梅を入れる。

二日には、特に自分で衣装を新調しないような女房は、大晦日に(御所で)新調した打出の装束を、一日の夜になって頂いて、綿を普段通りにして着る。
(御所で新調した)打出の装束は、番の女房あたりの身分で、裁縫の心得のある女房達が、絹五疋、綿百斤を頂いて、仕立てて、裳、唐衣はつけないで、大晦日に(御所に)お届けし、(それに)受領が二十取り合わせて献上したとか言う、様々な文様を織り出した唐衣、白い裳をつけて、一日の夜に下さるのを、勅命で色を許されていない身分の上臈女房は、(それを)そのまま着る。

※「綿、例のほどになして着る」→「綿を普段通りにして着る」としましたが、正直よく分かりません。後の記述から考えて、頂いた時点で打出の装束にはすでに綿が入っていると思われるので、それにさらに綿を入れるってことでしょうか?
※白腰の裳→白い腰裳(腰のあたりを覆う短い裳)のこと?と思いましたが、そもそも腰裳は上代の衣装だし、正月の正装でそれを着るとも思えないので、やはり白い裳(長いもの)のことでしょうか。ここもよく分かりません。
※色ゆりぬ→禁色は使用を許されていない色のこと。青(天皇の袍)、赤(上皇の袍)、黄丹(皇太子の袍)、深紫(一位の公卿の袍)に加え、支子、深緋、深蘇が禁じられた。支子、深緋、深蘇が禁じられたのは、支子は黄丹に、深緋、深蘇は深紫に似て紛らわしいから。これを使うには勅許がいるが、「色ゆりぬ」とはその勅許を貰っていないということ。

私などは、唐衣は手元に残して(着ないでおいて)、三日に御薬を持ってきた得選や女官などに与えた。
三日は、また、仕立てた装束を身に着け、(それが)裳唐衣よりもさらに厳重に着重ねた正装であることは、一日に同じである。桜躑躅(さくらつつじ)、山吹の匂い、萌黄の匂いなどの襲色目を主に着る。

※御薬→正月に、屠蘇、白散、度嶂散の三種の薬酒を献じる儀式があった。
※得選→御厨子所に仕える下役の女房。
※女官→御湯殿、御厨子所などに仕える下役の女房。
※桜→「桜躑躅(さくらつつじ)」の襲色目のこと。紫→薄い紫にグラデーションを作り、次に白、青(緑)、紅の順に差し込む。他に「樺桜」の可能性もあり。「樺桜」は紫を何枚も重ね、最後に紅を入れる。両者とも五節~春に使用。
※山吹→「山吹の匂」の襲色目のこと。五節~春に使用。朽葉色(鮮やかな赤黄色)から黄色にグラデーションをつけ、最後に青(緑)色を入れる。
※萌黄→「萌黄の匂」の襲色目のこと。通年使用・祝儀用。萌黄色(黄緑色)に薄いものから濃いものへとグラデーションをつけ、最後に紅を入れる。

三が日の間、女院は(法住寺殿南殿の)西向きの御所へお出ましになり、女房達は端にある畳から南の廂を上にして台盤所の垂れ幕の端まで、畳二畳あたり三人ほど(づつ)、装束の端が重なる程にずらっと並んで、御歯固め(正月三が日の祝儀用の食べ物)、朝飼の物(朝食用の食膳)が来るのを、順次取り次ぐ。(台盤所の戸口から)食膳をリレー形式でとなりの人へどんどん渡して、御配膳役の人までまわす。
七条殿では、そのまま昼の御座所で、礼拝(元旦の祝詞を受けること)が終わってから、この作法を行った。
(女房が沢山控えていて)狭く、西の母屋まで女房、上臈がたくさん並んで控えている。西の廂と母屋を区切る襖障子
のあたりまでは中臈がご膳を持って参じる。台盤所におかれた台盤の両側に中臈、下臈の女房が二十人ほど並んで座っている。

※この部分は前半で法住寺南殿での三が日の食事の作法の様子、後半は七条殿での作法の様子が描かれる。
これを理解する前提として、「法住寺南殿」「七条殿」「蓮華王院」の関係図を載せておきます。

★法住寺
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法住寺は加茂川の東側、七條坊門小路末から八条坊門小路末にわたって存在しました。
図中のabcdすべてを総称して法住寺(広義)といいます。
この広義の法住寺は七条大路末により南北に別れ、北部分(ab)が七条殿です。
南の部分のcの部分が蓮華王院(三十三間堂)、dの部分が法住寺南殿(狭義の法住寺)と呼ばれる所です。

七条殿→建春門院の御所があったところ。
法住寺南殿→後白河院の院御所です。

★法住寺南殿
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次に、法住寺南殿の内部の様子です。
女院が正月の三が日、御歯固めの儀式のためにやってきたのは「西向の御所」です。「西向の御所」は東にありますが、西を向いているので「西向の御所」といいます。
ここは本来、御懺法堂(おせんぼうどう)で、後白河院の落飾の儀もここで行われました。

★西向の御所
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ここで「女房達は端にある畳から南の廂を上にして台盤所の垂れ幕の端まで、畳二畳あたり三人ほど(づつ)、装束の端が重なる程にずらっと並んで」とあるので、上記のような感じで並んでいたのではないかと思います。
(台盤所がどこかわからないので、仮に西の廂にあった場合の図)

★七条殿
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次に、七条殿での儀式の様子です。
七条殿の昼の御座所とは寝殿のことでしょう。そこで礼拝、御歯固めの儀式を行ったということです。
次に「西の母屋まで女房、上臈がたくさん並んで控えている。西の廂のところにたつ障子のあたりまでは中臈がご膳を持って参じる」とあります。
これは、人がたくさんいて、寝殿の廂では収まらず西の対の母屋まで女房達が控えていたということです。
建寿御前日記第四段「番のさだめ」を参照していただくと、中臈のお部屋は寝殿母屋の西の廂だと考えられます。よって、西の廂の所に立つ障子は上記のような位置にあったと考えられます。
この「障子」は「襖障子」、現在でいう襖にあたります。

※殿舎配置、資料については「『建寿御前日記』 私注(二) 本位田重美」を参照しました。

【コメント】

長い・・・。
途中で切っちゃおうと思ったのですが、一応一つにしました。

今回図にした七条殿の殿舎に関しては、上記の図がabのどちらに建っていたのかよく分かりません。多分bかと思いますが。
もちろんaには別の殿舎があったようです。

今回訳をつくり、自分の知識のなさを痛感しました。まぁ素人だからしょうがないけど。
今度ゆっくり院政期の殿舎について書いてある本など読み、より詳しく分かった段階でちょこちょこ直そうと思います。

★さてさて、清盛ですが、またちょこっとだけ視聴率が上がったみたいです。
よかったよかった。先週面白かったですもんね。

しょっぱなから讃岐へ流される崇徳院。そして院の御製を詠む西行の「瀬~を~は~や~み~」がバックに。
西行、崇徳院に会いに行ってあげるのかな?

あと、意外な掘り出し物が統子さま(上西門院)、後白河天皇の同母姉です。
セリフ回しがすごく気品があってgood!
聞いたところによると、もとジェンヌでつかこうへいの御嬢さんとか。

【建寿御前日記(本)】・・・いろいろ面白い小段でした。


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講談社の絵本 「しあわせの王子」 [【絵本(本)】]

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今回は講談社の絵本「しあわせの王子」です。
これも大日向明先生の挿絵で、王子様とつばめがとっても可愛いです。

原作はオスカー・ワイルドで、子供向け短編集の一編だそうです。
基本あまり物事に感動しないnakonakoですが、何故かこの話は感動しちゃうんですよね。先だって紹介した人魚姫は読んでも全く悲しくなったりしないのですが。

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ある街に金箔で包まれて、両の目はサファイア、柄にルビーをあしらった剣を刺した王子様の像がたっていました。


秋も更けた頃、一匹のつばめが王子様の足元に一晩の宿をとりました。
「もうすぐ寒くなってしまうから、早く南の国へ行かないと」と思って寝ていると、何故か上から水が滴ってくるのです。
おや、雨かなと思って上を見上げると、何と王子様が泣いているではりませんか。

つばめが「王子様、どうなさったのです」と訪ねると、王子様は「この町には貧しくて不幸な人たちがたくさんいる。私はそれを見るのが悲しくて泣いているのです。つばめさん、お願いだから私の剣の柄のルビーをとって、乳飲み子を抱えた貧しい母親の所に届けてあげてください」と頼むのでした。

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貧しいお母さんの所にルビーを届けてあげるつばめさん。
裁縫道具がいかにも日本ぽいけどまぁよし。

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日に日に気候は寒くなり、つばめは「南の国へいかなくちゃ」と思うのですが、王子様が「どうかもう一晩、もう一晩」と頼むので、ずるずるこの町に留まっていました。

これは、貧しい作家に王子様の目のサファイアを届けるつばめさん。

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最初は「早く南の国へいかなくちゃ」と思っていたつばめですが、王子様が貧しい人々に両の目のサファイアまで与えて盲目になってしまったとき、王子様のもとに留まる決心をしたのでした。
そして、見てきた遠い砂漠のことや珍しい国の話を聞かせて、王子様を慰めるのでした。

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ついに冬がやってきて、つばめにも最後の時が訪れます。
つばめは王子様にお別れのキスをして静かに死出の旅に旅立ちました。
その時、つばめを見送った王子様の鉛の心臓も悲しみのあまり、破れてしまったのでした。

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翌日、金箔もサファイヤもルビーも失った王子様を見た町の人は、こんなみすぼらしい像はいらないと、王子様の像を溶鉱炉で溶かしてまうのですが、何故か王子様の心臓だけは溶けずに残ります。
そしてその夜、天からのお使いがやってきて、王子様の心臓とつばめを天にお召しになってのでした。

原作も短いですが味がある作品です。
でも、つばめが可哀相だから何度も読む気にはなれないんですよね。

【絵本(本)】・・・大日向先生の絵を見て、王子様の目のそれはサファイヤってよりエメラルドじゃないのかと突っ込みたくなりますが、そこは我慢です。


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気が付いたはにゃくろ [【我が家の猫】12年度]

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みんなのお気に入り、とらちゃんママさんに頂いた猫ベッドです。
はにゃくろちゃんがご機嫌で入ってます。

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こちらに気が付きました!

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何かを目で語ってます(笑)

★おまけ
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こちらもご機嫌のちゃーちゃん弟くん。

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おやや、今はやりの「てへぺろ」を(笑)

【我が家の猫】・・・相変わらずはにゃくろちゃんには嫌われてます。


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講談社の絵本 「人魚姫」 [【絵本(本)】]

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このボロボロの本は大昔に親類を回りまわって我が家にたどり着いたものです。
何で我が家で止まったかというと、近くにいる親類では我が家が最年少だったからです。

この「講談社の絵本シリーズ ゴールド版」は昭和20年代~30年代に出版されたシリーズで、個人的には好きなシリーズです。出版の年代は今回初めて調べたのですが、結構古くてびっくりです。

今回紹介するのは「人魚姫」です。
何でこれかというと、挿絵を描いた大日向明先生の絵が可愛くて好きだからです。

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海の底で人魚姫のお誕生日の宴が開かれているシーン。
自分が心が汚れた大人になったせいか、今見ると、美姫を品定めする王様と遣り手にしか見えないんですけど。
ちなみに、一番右端が人魚姫です。

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嵐の日に王子様を助ける人魚姫。
このとき王子様に意識があればね~。

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声と交換に人間になる薬を手に入れます。
このとき何故か、王子様と結婚できなかったら、人魚姫は海の泡になってしまうという条件が付きます。

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子供用だけあってひらがなばっかりです。
困ったような人魚姫がとっても可愛いです。

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「王子様は人魚姫がお城の中で一番美しいと言いました」だって。王子様、罪作りですね。

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そんな人魚姫の気持ちも知らずに結婚しちゃう王子様。
まぁ、しょうがないですよね。人魚姫がお姫様だって知らないんですから。一国の王子様が素性の分からない娘を正妃にできないですもんね。

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最後に人魚姫のお姉さまたちが「これで王子様を殺せばあなたは人魚に戻れるのよ」と言って、短剣を持ってきます。これは、お姉さまたちが魔女に自分たちの髪を与えて、代わりにもらったものなのです。
なかなかすごい取引をするお姉さま方です。

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しかし、人魚姫は結局王子様を殺せず、魔女との取引通り海の泡になってしまうのでした。
これが日本だったらねー。皇子の妃は一人じゃなくてもいいから、なんとか妃の末席に加えてもらえれば姫も泡にならずに済んだのに。

大日向先生の絵はホント可愛くて、見てて飽きないんですが、あんまり画集とか出てないみたいです。
高畠華宵とのこの差は何なんでしょう。
まぁ、華宵みたいなパンチはないかもしれませんけど。

【絵本(本)】・・・大日向先生の絵は可愛いなぁ。


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眠かった小縞 [【我が家の猫】12年度]

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お目目がくっつきそうな小縞くんです。

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かなり眠そうですね。

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おやや?こちらに気が付きました。

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別に寝ててもいいんだけどな。

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そうですか・・・。

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(笑)

【我が家の猫】・・・眠いときの顔がかわいいな。


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ちゃむ君がうるさいので [【我が家の猫】12年度]

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なにやらおねだり顔をしてこっちを見るちゃむ君。

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どうやら出番が少なくて怒っているようです。

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なるほどー。
最近建寿御前日記が多かったもんね。
でも、あれも進めないといつまでも終わんないのよね。

★おまけ
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とらちゃんママさんに作っていただいたベッドが大好きなぐれ。

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お気に入りです。ふっかふかの感じがいいんでしょうね。

【我が家の猫】・・・久しぶりに文句を言うちゃむ君。


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柏餅? [【我が家の猫】12年度]

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おやおや?白美さんが歌を歌ってます。

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なるほど。
草餅→お布団
白餡→白美さん
ってわけですね。

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だいぶね(笑)

★おまけ
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すやすや眠るボスくん。

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舌をしまい忘れてます。

【我が家の猫】・・・柏餅になる白美さん。


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建寿御前日記 第九段 「桜の花瓶」 [【建寿御前日記(本)】]

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【第九段 本文】

その夜はいでて、四月にぞ参りし。きさきの御ほどは、まして、何事も、いつかしく、よそほしき事のみ、かぎりもなけれど、幼く、いふかひなき心を、いとどおひらかに、さかしからず、見るべきことをも見ず、こゑも聞こえじとのみ思ひしかば、何事をかは見およばん。昼の御座の御帳のまへに、つくりたる八重桜の、ひとまにはあまるばかりなるを、るりのかめに、たてられたりしを、きさきの昼の御座には、かかることのあるにやと、思ひしもおこがまし。

【訳】

その夜は退出して、四月に(再度)参上した。后の格式というものは、言うまでもなく、何事も、厳めしく、威儀を整えていることはただもう限りないが、幼くぼんやりしている心を、ますます鷹揚に、小賢しくないように(謹んでいたので)、当然見るはずのことをも見ず、声も聞こえまいとばかり思ったので、何事を見及ぶことが出来たであろうか(みんな見過ごしてしまった)。

(ただ、覚えていることといったら)昼の御座所の御帳台の前に、造花の八重桜で一間に余るくらいの大きさのものが、青磁の花瓶に立てられているのを(見て)、后の昼の御座所には、こんなこともあるのだと思ったのも(考えたら)差し出がましいことである。

※一間・・・寝殿造りの柱と柱の間くらいの長さ。
※青磁・・・一般的には緑がかった青色。

【コメント】

今回は短めでした。
書いてあることといっては、后の昼の御座所の前には青磁のつぼに入った造花の八重桜があるということだけです。
青磁は古代中国に始まった陶磁器で、この時代の中国・南宋で最盛期を迎えていました。
一間あまりの桜を入れるんですから、かなり大きなものですよね。
今あったらいくらするんでしょう。見当もつきません。

後、造花を作っていたっていうのがちょっと面白かったです。
昔は造花より生花の方が多く使われているイメージですが、このような記述があるってことは結構造花も使われてたんでしょうか。
そういえば、かぐや姫に蓬莱の玉の枝を求められた車持皇子が職人に命じて贋物を作らせる話もありましたし、造花も結構あったのかもしれませんね。

★前回の「清盛」視聴率微増でちょっとほっとしてます。
NHKだから視聴率悪くても打ち切りにはならないんでしょうけど、あんまり視聴率悪いと現場のやる気がなくなってドラマの質が低下したらやだなーと思って。

先週、美福門院得子さまが後白河帝のところにやってきて、双六をしながら「天下の覇権を握れるなどとゆめゆめお考えなさるな」って釘を刺したのが恐面白かったです。
得子さまは次の帝の守仁親王(後の二条天皇)を養子にして抱き込んでるから、守仁親王に天皇親政を行わせて実質自分が政治を牛耳ろうってことですよね。
保元の乱が終わったばかりだというのに、もう次の権力闘争の幕開けです。
得子さまにメンチを切られた後白河帝は「ぞくぞくするのう、朕は生きておる」と、一寸先も分からない権力闘争に生を実感しているようでした。

歴史物のいいところであり、悪いところであるのは、今後得子さま、守仁親王、後白河天皇がどうなるか、もう分かっちゃってるところです。
知らなければもっともっとのめりこめるのに。
かといって、歴史をあんまり捻じ曲げてドラマを作られちゃうとそれはそれで興ざめだから難しいところですよね。

【建寿門院日記(本)】・・・青磁の花瓶がやたら大きそう。


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