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建寿御前日記 第八段 「宮仕の初め」 [【建寿御前日記(本)】]

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【第八段 本文】

十二になりし年、后立ちあるべしとて、人々まゐりそひけるに、まことのも、そらごとのも、母たち、なにとか言ひさだめられけん、参るべきになりにけり。心ならずつくろひたてられしかど、いふかひなく、あきれられて、まゐりたれば、衛門佐(ゑもんのすけ)、こころよせの人とて、車よせて、姉の京極殿も居まうけられたりけり。火あかくともして、眉つくりなほしなどするほどに、常陸といひし、それも幼くて、やなぎの衵の、うへすりたるに、ひろきかけおびかけて「とくのぼらせ給へ」と、いへば、京極殿ぐしてまゐる。三河にてありけり。白く肥えて、思ふことなげなる若き人、もえぎのにほひに、紅梅のうすぎぬきて、紙燭、御むかへにとて来たり。いづくにかありけん、居るべき所とて、つくろひすゑられたるに、あなくちをし、早くよるになりにけり、こよひご覧ぜさせでとてゐたるほどに、あなうれし、きとこの御かたへおはしましたるとて、障子よりさしのぞかせ給ふにや、聞きしらぬ御こゑにて、「あないたとよ、これも、ててはかなしがりてか」とおほさるる。京極殿、「こよひもぐして参りて候。かずごとに」など、まことのしろ、さしもなけれど、よきさまに、とり申さるるに、「やがて見参(げざん)すべけれど、あまりに、かくうちとけて」とて、ちひさき御几帳とりよせられたれど、ほころびより、さしいでさせ給ひたりし御顔の、なにごともつつましく、おそろしきやうにのみおぼえて、あきれてゐたる幼きここちに、あなうつくし、世には、さは、かかる人のおはしましけるかと、ふと、見つけまゐらせたりしより、なにとなく、心のおもひつきまゐらせにしなり。

【訳】

(私が)十二になった年に、立后があるはずだということで、皆が参上し集まっていたところ、いろいろのことを母たちは何と相談し決め事をされたのか、(私が女院の所へ)参上するのがよいということになった。
自分の意思ではなく準備をされたが、わきまえもなく、ただ呆然として(御所へ)、参上したところ、衛門佐は(私達と)親しい人であるということで、車を迎えて世話をしてくれ、姉である京極殿も待ちかねていらっしゃった。

※衛門佐は建春門院の女房。筆者の家族と親しかったので、車で御所へ参上した筆者たちを迎えに出てくれた。
※京極殿は筆者の姉。すでに建春門院の女房になっており、御所で筆者が来るのを待っていた。 

火を赤くともして、眉を書き直したりしていると、常陸という、これも幼い子で、柳襲(やなぎがさね)の衵で、上には文様をすり出した衣装をまとい、広い掛け帯をかけて(いる子が近くにいたが)、「早く参上なさいませ」という声があったので、京極殿が(私を)つれて参上する。

※この「常陸という、これも幼い子で、柳襲の衵の上に文様をすり出した衣装をまとい、広い掛け帯をかけて(いる子が近くにいたが)」の部分は解釈が分かれる。
これを挿入文と解して、作者と常陸が同日に新参としてやってきたとする説と、常陸は幼いがすでに出仕している女房で、その常陸が筆者達を迎えにやって来たと解する説がある。今回は前者によりました。
※柳襲…「柳襲」の襲色目のこと。通年使用、祝儀用。緑色のグラデーションをなし、最後に紅を入れる。

(そこにいたのは女房の)三河であった。色白でふくよかで、何の悩みもなさそうな若い女性で、萌黄の匂の袿に、紅梅色のの薄絹を着て、紙燭を手にお迎えとしてやってきた。

※萌黄の匂…「萌黄の匂」の襲色目のこと。通年使用・祝儀用。萌黄色(明るいうす緑)を明るい→暗でグラデーションにし、最後に紅を入れる。
※うすぎぬ→薄く透けるような布地のこと。普通夏に着るような気がするんですが、春(現在3月)にも着るんでしょうか。よく分かりません。

(今思うとそこは)どこであったのか、控えの部屋に準備され待たされていると、残念なことに早くも夜が更けてしまった、今夜はお目見えさせてやれなくて、と待っていると、嬉しいことに、ちょっとこちらの方へ(女院様が)いらっしゃったということで、障子からちょっと覗かれたのであろうか。聞きなれない御声で「まぁ、(小さいのに)いたわしいこと。この子のことも父(藤原俊成)は可愛がっているの?」と仰せになる。京極殿が「今宵も(自分の縁者を女房として)連れて参上いたしました。数をつくして全部と言っていいほどでございます(「何人もお世話になることでございます」の意味)」などと、本当の数はそれ程でもないが、しかるべくごあいさつ申し上げると、(女院様は)「さっそく会いたいが、あまりに打ち解けた恰好をしているから」と、小さい御几帳を引き寄せられたが、几帳のかたびらの間からちらりと見えた御顔が、何ごとも気おくれがして、こわいようにばかり思われて、途方に暮れた幼い心に、「ああ、お綺麗だ。世の中にはそのように美しい人がいらっしゃるのか」とさっと目におかけ申し上げた時より、何となくお慕い申し上げるようになったのである。

※障子…ここでの障子はついたてのようなもの。

【コメント】

訳を作ったら意外と長かったです。
本でざっと読んだときに比べ、一文一文訳を作ると、それぞれの衣装も鮮やかにイメージできてより一層文章を楽しめました。
昔の人の色のセンスって繊細ですごいです。
古典を読むまで赤~ピンクの色なんて、赤、オレンジ、ピンクくらいしか意識してませんでしたが、古典だと紅梅、桜、紅、緋、丹、茜、柿、赤白橡(あかしらつるばみ)、萱草(かんぞう)、蘇芳と、ちょっとあげただけでこれだけありますもんね。

今回は筆者が初めて女院の御所に出仕した時のお話です。女院に皇太后の宣旨が下るということで、そのタイミングで出仕したみたいです。
すでに女院のところにはお姉さんの京極殿が出仕しており、筆者は京極殿の養女になっていました。

御所に上がって控えていると早くも夜になってしまい、「今日中のお目見えは無理かな」と思っていると、ラッキーなことに女院がたまたまこちらへいらっしゃって、障子のかげからこちらをご覧になり「小さいのに痛々しいこと。この子も父(俊成)は可愛がっているの?」と京極殿へのお言葉あり、その後に几帳をたててのお目見えとなります。

解説によると、父親が可愛がっているかどうかを聞いたのは、母親の身分が高くない子供は父親の愛情の厚薄がとても重要だったからということらしいです。
ただ、筆者の実の母は美福門院に仕えた加賀という女房で、通称「美福門院加賀」とよばれた人物です(後に八条院に仕え、五条の局と呼ばれます)。もともと加賀のお母さんが美福門院の乳母ということなので、筆者の母の家系は成り上がり中流貴族の家人というところです。
まぁ、中流とは言え、美福門院が国母にまで出世しちゃうので、その家人の家系だったらある程度羽振りはよさそうですよね。

そして、そのお目見えした時に拝見した女院の美しさに幼いながらに感動し、それ以来お慕い申し上げているということだそうです。
このとき、女院は26歳くらいのはずですし、そりゃ綺麗だったでしょうね。

★さて、先週から気をもんでいた「清盛」の視聴率、全国平均では何とか10%を超えてワースト更新は免れたみたいです。よかった~。
裏でサッカーをやっててこれですから、今脱落せずに見ている層はけっこう堅いってことですよね。

お話も保元の乱後半で、とっても面白かったです。
敗軍の将になった為義が、敵方になった息子義朝が戦勝の褒賞として昇殿を許されたと聞いて、泣き笑いのような顔をして喜んでいるシーンにぐっときてしまいました。
来週も面白そうなので、この調子で視聴率が上がるといいなと思ってます。

【建寿御前日記(本)】・・・意外と面白い段落でした。


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深大寺 [【その他】]

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昨日はとらちゃんの眠る深大寺へ溺愛さんにご一緒させていただきました。

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緑につつまれた深大寺の入り口。

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とらちゃんはこちらに眠っています。
この裏が納骨スペースになっており、とらちゃんはちんまり座って溺愛さんを待っていました。
先日亡くなった外猫スラーちゃんもこちらにいます。

深大寺は新緑に包まれて、心地よい風が吹いていました。
こんな素敵なところにいるとらちゃんとスラーちゃんは幸せだなと思います。ママが来てくれてきっと二人とも喜んでいたことでしょう。

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霊園の周りにこんな喫茶店があります。
水木しげるさんが調布に住んでいたということでできた喫茶だそうです。

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屋根には下駄が!

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そのあと吉祥寺の千年葡萄屋で遅いお昼をとりました。週末だったのに、時間がずれていたせいかすいてました。

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ここのすごいところはとにかく安いこと!
オリーブなんて¥200でした。
接客も丁寧で、「こんな感じのワインを」とお願いすると見つくろってくれます。

何だかとらちゃん、スラーちゃんにもう一回会えたような楽しい気持ちになりました。
溺愛さん、ありがとうございました。

【その他】・・・可愛いとらちゃん、スラーちゃんに会いに。


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建寿御前日記 第七段 「局の中」 [【建寿御前日記(本)】]

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【第七段 本文】

人のつぼねつぼねより、こゑかけて参る女房などは、ひとりもなし。下臈までも、親、たちそひ、もてかしづく人ありて、いでいりにつけてやすらかに、つぼねの中まで、人におとらじと、このみもてなしたるかぎりなれば、何事のあかぬ事かはあらん。

親、子、姉、おとと、ならで、人のつぼねにゐたる人、ひとりなし。うへわらは、雑仕など、ふたりあるは多かりしかど、ひとりなきは思ひもよらず。中にも堀川殿は、すこしおとなにて、あさゆふ候ひしかど、昨日今日まゐりたる人のやうに、つぼねの中まで、かぎりなくしたててやまれにき。

【訳】

それぞれの局からの紹介で出仕する女房などは、一人もいない。(みんな女院との直接の関係があってお召しにあずかるものばかりだった)

身分の低い女房でも、親がしっかりついており、きちんとお世話する人がいて、出仕、退出それぞれに心配事もなく、局の中でも他人に後れを取るまいと、趣向をこらしている女房ばかりなので、何の不満なことがあろうか(そんなものはない)。

親、子、姉、妹という関係でなく、他人の局に間借りしているような人はひとりもない。そば仕えの女童、雑役に奉仕するものなど、二人使っている人は多かったが、一人も使っていないなどということは思いもよらない。
中でも堀川殿はすこし主だった立場であり、いつもお仕えしていたが、昨日今日に参上した人のように(たしなみを崩さず)、局の中まできわめて美しくこしらえるということを最後まで続けられた。

【コメント】

今回は建春門院に仕えた女房達がどんな人たちだったかという話です。
一言で言うと「みんなお金持ちでしっかりした家の人たちです」ってことですね。食い詰めて女房になるような人は一人もいませんってことらしいです。

いつも思いますが、建寿御前はプライドが高いですよね。
まぁ、そこも魅力ですか。

★さて、先週の清盛は保元の乱だったのにもかかわらず史上最低の視聴率になっちゃったみたいです。
何でかな~。崇徳院がかわいそうすぎてみんなチャンネルを変えちゃったのでしょうか(笑)


鎮西為朝の「夜討ちこそ上策」っていう建議を「卑怯者のすること」と却下しちゃう頼長&崇徳院をみて、ついつい「ああ~、こうなるのは分かってたけどだめだこりゃ」ってつっこんじゃいました。
このエピについて「アレクサンドロスだって同じことしたのに(※)結局あっちは勝ったから『さすが王者の風格』みたいに言われて、こっちはバカじゃねーの扱い」ってコメントしている人がいて笑っちゃいました。
確かにそうですよね。まぁむこうは古代だし、相手のペルシアがダメダメだったからラッキーだったっていうのもありますが。

(※)古代にペルシアとマケドニアがガウガメラで戦ったとき、マケドニアの武将パルメニオンがアレクサンドロス3世に夜襲を進言したのですが、大王は「私は勝利を盗まない」といってその進言を退け、翌朝みごとに勝利したってエピです。
ちなみに相手のペルシア軍は何していたかというと、マケドニアが夜襲をしてくるはずって身構えて夜通し起きてたので翌朝戦えなかったそうです。
夜通し起きてるんなら自分から夜襲かけろよホント。

為朝役の人ピッタリでしたね。よくこんな役に合う人連れてくると思います。
来週の予告を見たら、何だか上皇様がうつろな目をして山をさまよってました。先週にも増して可愛そうな展開が予想されます。
保元の乱に負けた上皇様は仁和寺で出家ってことになるはずですが、西行がやってくる例のエピソードもやるのかな?
楽しみですね。
今度こそ視聴率が上がって欲しいものですが。

【建寿御前日記(本)】・・・清盛の視聴率が心配。


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建寿御前日記 第六段 「女房の名寄せ」 [【建寿御前日記(本)】]

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第六段は健春門院に仕えた女房の一覧です。
「近習」と「番の女房」に分けて一覧になってます。
お側仕えが23人、番の女房が37人です。

もともと建春門院自身が上西門院(崇徳天皇、後白河天皇のお姉さん)の女房だったことからか、上西門院の所からスライドして建春門院に仕えた人が結構多いみたいですね。

【第六段 本文】

近くさぶらひし人。

三條殿    久我の内大臣のむすめ、源の大納言といひしをりいだしたてて参らせられたりける、ひせとかやと聞えし。母はたけどのとぞいふなりし。

宣旨殿    上西門院よりわたりて、もとは高倉殿とかや。公隆の宰相のむすめ。

冷泉殿    ひとつ御腹の御姉。

堀川殿    あきながの中納言のむすめ。なかたゝ同じ腹。

★新大納言殿  平家維盛の妻成親の大納言別当といひしむすめ。この京極殿の腹なり。十二三にて召されて、二三年ぞさぶらはれし。御所ちかき局給はりて、かぎりなくもてなさせ給ひき。

★内侍殿    御せうとの時忠のむすめ。この人々は色ゆりたり。

右衛門督殿  基家の妹ときこえき。これも上西門院よりまゐりたり。母はかほる督殿とかや。 
 上西門院宣旨

小宰相殿   兵部卿信範のむすめ。

帥殿     備後の前司すゑかぬのむすめ。

中将殿    大宮亮としたかのむすめ。

卿殿     としたかの弟の三河の権守とかやのむすめ。これらみな上西門院よりのひとどもなり。

督殿     なにの関白とかやの御むまごとかや。美濃の権守といひける人のむすめとかや、え知らず。

新大夫殿   伊予の守もろかぬのむすめ。母はこの院のひと。をさなくより候ひて、こんがう大夫とぞいひし。一とせよく院にさぶらひし人なり。

丹後     範玄僧正が妹。

大和     

肥後     ふたりながら、御めのと若狭殿のおととなり。

周防     その人どもの姪。今の浄土寺の二位殿ときこゆる人の姉。

三河     肥後がむすめ。

武蔵     若狭殿のせうと院てう法橋とかやがむすめ。検非違使遠業がめ。

常陸

和泉

伊賀     三人、むさしが子供。常陸がててはあらず、二人は同じてて。いづれも上西門院に候ひける民部の大夫といひけるがむすめとかや。

安芸     これは琴ひき。てては知らず。人はみな知りたるらん。

番の女房たち

みくしげ殿  花園左大臣殿の御むすめ、西の御方のおとととて、それも上西門院の人。

一條殿    按察の大納言きんみちのむすめ。頭中将ひとつ腹。せうと、車よせなどして、もてなして参らせられたり。

大納言殿(一) としみちの兵部卿の女。母は皇嘉門院の督どのといひけるとかや。のちには御前になりていだしたてき。中宮の女御まゐりにわたされて、のちに失せにき。

大納言殿(二) 宣旨殿のおとと。母はあそびとかやききし。姉の子にして参らせられたりしかば、のちに色ゆるされき。

中納言殿

★民部卿殿   あきときの中納言中むすめ。女御の宣旨のをり参りて、もてなされまゐらせけるほどに、しげのりの、いかにとかや、しばしひき入て、又あねまゐりて、いままゐりとて、みかは、かぎりなくもてなししほどに、時忠のうへになりにき。この六人ぞ色ゆりたりし。

按察殿    別当入道これかたのむすめ。母は大貳佐、このごろの別当の三位殿なり。

左衛門督殿  雅頼の中納言の女。母いへなりの中納言女、御前ばらときこえし。年老いてきけば、人の上臈と思ひげなりけるを、さも知らざりけり。男がらかはるにや。

別当殿    いへあきらの三位の女。廳の年預せし宗家が養ひぎみにて、めでたくしたてき。

権中納言殿  すけながの中納言女。

新中納言殿  琴ひきの安芸がむすめ。てては信頼の右衛門督。

兵衛督殿   もろなかの中納言女。ててのしたてたるにはかなかりかるとかや。

新宰相殿   ちかたかの宰相のむすめ。いへみちの宰相のはなれたる人とぞききし。

宰相殿    大貳重家の女。母、家成の中納言女。

三位殿    ちかのりの宰相の妹とかや。

新三位殿   たかすけの三位の女。こゑ、みめよき人を好ませ給ひしに、世に知らずうつくしきと聞えて、もてなされまゐらせき。

伯の督殿   あきひろの伯の女。とばりあげにて色ゆるされたり。

治部卿殿   帥殿のおとと。これのみぞ姉のつぼねに、ひとつにゐてわれといでたつとも見えざりし。

左京大夫殿  ぜんち法印の子とかや。尼がてての子になりて参りたりし。母は衛門佐なり。

新中将殿   さい京大夫さだたかの女。母は三河の内侍。これまでは織物の唐衣なり。このごろたかやすの三位のめとかや。

大貳殿    一條三位なかのりがむすめ。もとは中臈なりけるが、てて上達部ののち織物着る。

★今まゐり   康経の女。かぎりなくかしづきし。幼くて、中納言三位殿の子になりて参りて、上臈と申ししを、許されねば名もつかず。唐衣は、あけくれ、いとゆふむすび物などを着て、りうもんをばきず。上臈の二間にまじり居て、つぼねはたてねど、おして几帳をさしき。上臈はつぼねをたてて几帳をさしき。中臈よりはつぼねもたてず。几帳もささざりき。
これは、このごろきく新院の御めのと輔三位殿なり。

小弁殿    兵部大輔ともちかが女。今の中宮の宣旨。このごろ頭弁とかやの母よ。

刑部卿殿   皇后宮亮すゑつねのむすめ。母はとし道の大納言殿の母のおとととかや。

左衛門佐   院の御方より参りたり。そのてておぼえず。

右衛門佐   高松の院の女房。長慶得業がむすめ。このごろのむねつねの中将の母なり。親しきとて、尼が今参りせし車よせなどしき。

少納言    何とかや筑前の阿闍梨かくけんといひしが妹。

新少納言   りうか法橋とかやいひけるがむすめ。

備後     え知らず。

加賀     これも。

尾張     のぶたかがむすめ。このごろまでも残りて聞こゆめり。

長門     検非違使やすつながむすめ。

伯耆     もとなががむすめ。のちは伯の三位のうへ。このごろは斎宮の御めのとにて失せにき。

津      熊野の別当湛快が女。

土佐     八幡の別当がむすめ。

紀      武蔵の中納言知盛のめのとごとぞ聞きし。髪よかりき。

すけ     仁和寺の僧の子とかや。ただちかの中納言の思ひ人とてめでたくしたてき。のちにきけば堀川殿の母なり。

 

【コメント】

たいした内容じゃないので、今回は訳は省略で。

★新大納言殿
近習の「新大納言殿」は平維盛の奥さんです。
平維盛は平清盛の長男である平重盛の長男(次男との説もあり)、つまり清盛の孫です。母の身分が低いとはいえ、直系の長子なので上手くいけば一門の跡取りの可能性もあったわけですが、お父さんの重盛が早くに死んでしまい、一門の嫡流は重盛の弟である宗盛にうつっちゃったため微妙な立ち位置だったみたいです。
ご存知の通り富士川の戦いと倶利伽羅峠の戦いで平氏が源氏に大負けしたときの総大将です。
でも顔はイケメンだったみたいですよ。
ちなみに「新大納言殿」のお父さんは藤原成親なんですが、成親卿の妹(新大納言殿のおばさん)は維盛の父重盛の奥さんです。つまり成親卿と重盛、維盛親子はかなり親しい関係だったわけです。
成親卿は平治の乱で藤原信頼方について敗北したのに重盛との縁で助命されたにもかかわらず、その後さらに鹿ケ谷の陰謀事件に加わり、そこでも重盛に嘆願してもらって助命されます。(といってもその後こっそり暗殺されますけど)
重盛卿は君臣の道理をわきまえた忠義の臣みたいに描かれることが多いですけど、一連の流れをみると身内に泣きつかれるとすぐ聞き入れちゃうダメダメな人だってことが分かります。
常に酷薄である必要はありませんが、中央政治の権力闘争の中にある人は必要な時に躊躇なく非道なことが出来る人じゃないと結局自身の一門を滅ぼすことになってしまうんだなぁと実感します。
この点、鎌倉執権職を世襲した北条氏は君主論でも読んだのかってくらいの酷薄ぶりですが、これはこれでひいちゃいますね。泣いて馬謖(ばしょく)を切る時の涙がないとね。

作者との関係でいうと、新大納言殿は作者の姉である京極殿の娘ということなので、作者からみたら姪ってことですね。
ただ、京極殿は成親が鹿ケ谷の陰謀で失脚する前に離婚してるみたいですが。

★内侍殿と民部卿殿、今まゐり
「内侍殿」は「平氏にあらずんば人にあらず(一門にあらざらん者はみな人非人なるべし)」で有名な平時忠の娘です。
時忠関連だと「番の女房」の「民部卿殿」が時忠の妻なわけですが、彼女は後に建礼門院の女房→高倉天皇の乳母と出世します。ちなみにお名前は藤原領子(ふじわらのむねこ)さん。
「内侍殿」は領子さんの子ですかね?時忠には領子との間以外にも娘がありますが、同じ主人に仕えてるのだから領子さんの子かもしれません。

また、領子さんのお姉さんが「今まゐり」ですが、何だか扱いが中途半端ですよね。上臈と中臈の中間というか。
上臈としての処遇を申請氏したが通らず、女房名もつかなかったってことだそうです。

★それはそうと、「清盛」の視聴率がますますヤバイらしいですね。
おかしいな~。保元の乱で盛り上げると思ったのに…。
何で人気が出ないんでしょう。愛憎どろどろ劇とコメディファミリー劇場を一緒に楽しめる面白いドラマなのにな。
興味のある方はぜひ見てあげてください。
さすがに10%切ったら悲しいので。

【建寿御前日記(本)】・・・意外な有名人が女房名リストに入ってて面白いです。


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とらちゃんの思い出 [【その他】]

先日溺愛さんのところのとらちゃんが虹の橋へ旅立ちました。

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ふかふかで可愛かったとらちゃん。

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とってもいい子で、お邪魔するといつも出てきてそばにいてくれました。

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サマーカットもお似合いです。

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とらちゃん、虹の橋の向こうで向こうへ行ってる我が家の子とも仲良くしてね。


そのとらちゃんを偲ぶために、溺愛さんのお宅へ伺いました。rekaさんsoichiroさんもご一緒です。

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お迎えしてくれた圭介くん。夏仕様の短毛です。

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立派な毛皮のジンくん。
お花に近づいても、決してかじったり引き抜いたりしない偉い子です。お花は猫の健康に悪かったりしますが、ジンくんみたいな子ならママも安心です。

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お料理はタイ料理です。

とらちゃんの可愛かったお話はつきることなく、長々とお邪魔しちゃいました。

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おや、この子は?

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サマーカットのピートくんです。
ライオンみたいですね[黒ハート]

【その他】・・・とらちゃんの思い出にひたって。


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甘えるちゃむ君 [【我が家の猫】12年度]

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ぐれのことが大好きなちゃむ君

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ぐれお兄ちゃんに甘えています。

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仲がいいなぁ。

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ちゃむ君はぐれが好きですが、もちろんぐれもちゃむ君が大好き。相思相愛です。
ぐれはちゃむ君のお兄ちゃんになってちゃむ君を守ってるつもりみたいです。
だから人間がちゃむ君を予防注射に連れて行くと怒って抗議してきます(普段ぐれは人間に寄ってこないのですが、その時だけは人間のそばに来てうーうー言ってます)。
きっと人間がちゃむ君をいじめていると思ってるんでしょう。

★おまけ
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とらちゃんママさんにいただいたベッドが大好きなにゃー子ちゃん。
隙あらば入ってます。

【我が家の猫】・・・ちゃむ君の好きな子は・・・。


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建寿御前日記 第五段 「建春門院の御日常」 [【建寿御前日記(本)】]

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今回は七条殿での生活とか、建春門院の日頃の様子とかです。
例のごとく褒めちぎってます。基本、女房が主人について書くときは褒めるんですが、建春門院は高貴な出でもないので、読んでる方は何だかな~って感じがしなくもないです。

【第五段 本文】

よきほどなる御けなりにて、常にいでさせおはします。冬は、ふたへおりもののみつおんぞなどに、御小袴、夏も、折につけたるすずしのおんぞどもの、よになく美しきにてぞありし。このごろ多くみゆるこんなどは、夏も冬も、みぐるし物とてかくさせ給ひき。

貝おほひ、いしなどり、らんごなどやうの、あそびごとをも、つれづれならずもてなさせ給ふ。さぶらふ人も、かつはうちたゆまざらんためなるべし。御まへゆるされぬ人は、ちかくさぶらふ人々の、「御所になる」とつぐるに、たちのきて、障子のとにゐる。

夏は扇どもとりちらして、たうじさぶらふ人々、ひとつづつ給はりなどす。かやうの御あそびごと、はてぬれば、やがて、あなくるしとて、うちふさせ給ふ折もあり。かりそめに御とのごもりたりし御さまなどまで、ありがたく美しうもおはしまししかな。よそにおしはかりしは、ことごとしく、よそほしかるべきほどの御身ぞかし。夏など、うちおどろかせ給ひて、あつやとて、袷(あはせ)の御小袖の御むねをひきあけて、ふたふたとあふがせ給ひし御すがたなどまで、たれもすることの、あなこのましと見えしは、ただ、人によることなめり。あいきゃうこぼるるばかりとかや物語などに書きつけたるは、かやうなるにや、あながちに、にほひうつくしげなる御ぞは、顔のいふよしなく白きに、御ひたひがみの、はらはらとこぼれかかりたりしひまびまに、御色あひのはえて見えしなどは、この世のまた、さるたぐひをこそ見ね。

大方の世のまつりごとをはじめ、はかなきほどのことまで、御心にまかせぬことなしと、人も思ひいふめりき。まことに、おはしまさでのちの世の中を思ひ合はするにも、かしこかりける御心ひとつに、なべての世もしづかなりけるを、ただあけくれは、あそびたはぶれよりほかのことなく、しばしのほど見まゐらせ聞くほども、思ふことなく、うちゑまるるやうにのみもてなして、あかしくらさせ給ひし御心のほども、のちに思へば、人にことなりけり。

【訳】

美しい普段着をお召しになって、いつも(東の台盤所へ)お出ましになられる。冬は、二陪織物(地模様の上に別の糸で他の模様を織り出した織物)の三御衣(三枚重ねの衣)などに、御小袴(をお召しになり)、夏は折々に合わせた生絹(すずし・生糸で織った布)のお着物などが、見たこともないような美しさであった。このごろ多く用いられる紺色などは、夏も冬も、見苦しいものとしてお使いなさらなかった。

貝おおい(貝をつかってやる神経衰弱)、いしなどり(小石をたくさんまいておき、その一つを投げて、それを受け止めつつ他の石を拾い、先に石を拾い終わった方が勝ち)、乱碁(おはじきのような遊び)などのような遊びごとをも、楽しくお開きになる。お仕えする女房をも、一つには退屈させないためである。お目通りを許されていない人は、近くにお仕えしている人たちが「女院のお出ましです」と告げると、立ち退いて、障子の外に座る。

夏は扇などを沢山広げて、折からお側に控えている女房は、一つずつ頂いたりする。このような御遊びごとが終わると、そのまま「ああ苦しい」と言って、少し横におなりなさる時もある。ちょっとお眠りになったご様子などまで、滅多にない程の美しさでいらっしゃたことだ。

(お近くからではなく)遠くから想像したところでは、物々しく立派なほどの御身分である(が実際、お側で拝見する女院様はとても愛らしいご様子であった)よ。夏など、ふと目をお覚ましになって、「ああ、暑い」とおっしゃって、袷(裏地の付いた着物)の御小袖の御胸を引きあけて、ぱたぱたとお扇ぎになったご様子まで、誰でもすることだが、「ああ、素敵だ」と思われたのは、ただ、人によることと思われる。可愛らしさがこぼれるばかりであるとか物語などに書きつけてあるのは、このようなことであろうか、とても美しくそまったお召し物(をお召しになり)、顔が何とも言えず白く、御ひたい髪がはらはらとこぼれかかった(その前髪の)隙間から、お顔の色が引き立って見えたことなど、この世にまた、そのような例を見たことがない。

一般の御政治をはじめ、ちょっとしたことまで、お心通りにならないことはないと、世間の人も思い、語ったようだ。本当に、お亡くなりになってからの世の中を(ご生前と)思い合わせても、優れていたお心一つで、すべて世の中も静まっていたが、ただいつもは、様々の御遊び(にお心をくだかれる)だけで(政治への介入などはおくびにも出されず)、ちょっとの間お顔を拝見し、お声を聴く時も、心配事がなくなり、自然とこちらが微笑まれてくるようにばかり振る舞われて、お過ごしになったお心の(深さの)ほども、後になって思うと、普通の人とは比べ物にならなかった。

【コメント】

今回はちょっと長かったです。

前半では、女院がどんな着物を好んだか、御前での遊びの様子などが描かれます。
後半は、女院の美しかった容姿のついて、優れた心映えについての記事です。

訳を作って気が付いたんですけど、この日記、思ったことをテキトーに書いてるように思ってましたが、結構しっかり構成されてるんですね。
さすが文学エリートです。

前半に「このごろ紺色が多く使われているが、女院はお好みではない」とあります。紺色は男の人が良く使ったとウィキペディアとかには書いてありますが、女の人も結構使ってたってことでしょうかね。面白いですね。
次に羅列してある平安の遊びについては、貝おほひはまだしも、その他の遊びの面白くなさそうです。ホント平安時代に生まれなくてよかったです。

次に、夏に扇をたくさん広げて、控えている女房達にくれるという記述があります。お勤めの途中にこんなのあったら嬉しいですよね。夏だから配ったのは蝙蝠扇でしょうか。
何となく女の人は檜扇ってイメージがありましたが、女の人も夏は蝙蝠扇なんですね。

更に、とにかく女院がかわいいという記述が続きます。
寝てても可愛いし、「熱いなぁ」と言って胸元を開いて扇であおいでても可愛い。色白で、真っ黒な黒髪が額にかかっており、前髪の隙間からこぼれる額の白さが何とも言えず綺麗だと。
使い古されたような美人の形容ではありますが、建春門院は美人だったのは本当らしいので、さもありなんって感じです。
ここで笑えるのは「小袖の胸もとを引きあけて扇で扇ぐのは誰でもすることだが、そんななんてことない仕草でも素敵だと思えるのは、ただその人がやるからいいのだ。」ってところです。つまりは「美人がやるからいいんで、そうでない人がやってもダメですから」ってことで。西施が眉をひそめると美しいが、美人じゃないひとが真似しても顔面がますますやばくなるだけですっていう例の故事?を思い出します。

最後の段は建春門院の心映えについてです。
「そんなことないだろ~」って突っ込みたくなるような美辞麗句がならべられてますが、まぁこの美辞麗句まで含めてお約束って感じですね。「あそびたはぶれよりほかのことなく(何てこともないお遊びをなさるだけで(政治には介入しない))」ってことですけど、「いやいやいや」って突っ込みたくなります(笑)。
そう言いながらも「大方の世のまつりごとをはじめ、はかなきほどのことまで、御心にまかせぬことなしと、人も思ひいふめりき。(政治だけでなく、ちょっとしたことまで、心通りにならないことはないと世間のみんなも思っていた)」ってことですから、語るに落ちてます。女院のパワー恐るべし。

【健寿御前日記(本)】・・・長くて疲れました。


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タイフェスティバル 2012 [【イベント】]

nakonakoは昨日タイフェスティバル2012に行ってきました。
溺愛さんご夫妻、kontentenさんTAKUMAさんと一緒です。

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タイフェスティバル・マスターの溺愛さんによると、タイフェスティバルは例年、土日のどちらかは雨が降るの法則だったのらしいのですが、今年度は両日とも晴れて素晴らしい天気でした。

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原宿駅前の明治神宮。
何かのイベントをやってたみたいです。緑が多くてきれいですよね。

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お目当てのタイフェスティバル。
代々木公園前のイベント広場(よくフリマやってるところ)での開催です。

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美味しそうなお店が軒を並べて出品です。
見ているだけで楽しいんですよ♪


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場所取りをして美味しいタイ料理を満喫です。

1.ココナッツちまき→タイ米をココナッツで甘く煮て、中にバナナが入ってます。ちょい甘のデザートです。
2.タイ風焼きそば→こくがあって美味しいです。タイのスパイスって本当に美味しいです。
3・4.塩豚の香草炒め→タイ料理の中で一番美味しいと思います。こくのあるスパイスと香草のバランスが最高です。
5・6.タイ風焼き鳥→やわらかくてジューシー。味付けもスパイシーです。
7.ココナッツサラダ→これも美味しいです。辛めの味付けで、ココナッツもシャキシャキです。

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タイ料理にはやっぱりシンハビールです。
さらさらでタイ料理に合います。

お昼頃からとても混んで、人の波でした。
単に混んでいるっている状況じゃなく、初詣なみです。
本当は食事がすんだら小物とかを見て回りたかったんですけど、それどこじゃなかったです[あせあせ(飛び散る汗)]

大変盛況でとっても楽しかったです[揺れるハート]

★おまけ
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ユルキャラもいました。
何のキャラでしょうか。みんなは「お米では?」と言ってましたが、真相は不明です(笑)

【イベント】・・・タイフェスティバル2012


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意外と要領のいい にゃー子 [【我が家の猫】12年度]

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にゃんこのベッドゾーンにたくさんの子があつまってました。

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ちゃむ君がはいっているのはとらちゃんのママに作っていただいた猫ベッドです。
ふっかふかでとても素敵です。

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ちゃむ君があくびをしている間に、にゃー子ちゃんがベッドの端にあごを!

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心の広いところを見せて、にゃー子ちゃんに端っこを貸してあげるちゃむ君。

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そもそもちゃむ君だけのベッドじゃないのに、ちゃむ君偉そうです(笑)

★おまけ
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最終的には二人で入ってました[るんるん]
意外とにゃー子ちゃんは要領がいいです。

【我が家の猫】・・・このベッド大人気です。


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建寿御前日記 第四段「番のさだめ」 [【建寿御前日記(本)】]

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珍しく「建寿御前日記」を着々と更新してます。
先週の「清盛」の予告で建春門院さまが出てきてましたね!
しかも誰に対してだか知らないけどあっかんべーをしてました。

「清盛」での後白河院は今のところ傾奇者なので、二人のやり取りがどんなものになるのか楽しみです。

【第四段 本文】 

あさゆふさぶらひし人は、定番の女房とぞいひし。ありつき、やすらかにふるまひなして、若き人々などいひをしふ。さらぬは、番とて、月まぜに候ふべしとおぼしけれど、年のはじめ、ころもがへ、五月五日、七月七日などのやうの、ひひ二との御はななとには、さながらさぶらふ。上臈は、御前につづきたるふたまとて、七條どののふたむねにつづきたる寝殿の、北の廂の西のはしなり。人すくなき時は、このふたま、おほかるをりは、西のひとまをあけあはせて、うちとくるよなく、そでつま、うちみだれず、つくろひゐたり。

中臈よりしも、これにつづきたる臺盤所に、おなじさまにてさぶらふ。近うさぶらふ人は、ひんがしの臺盤所とて、むかひたるかたをとほる。いりたちの人々などはそれにゐる。この上臈のさぶらふ二間には、しげきをりは二三日、まぎらはしきほどなどは四五日になる時もありき。

【訳】

朝夕お仕えした人は定番の女房と言った。御所の生活に慣れ、いかにも穏やかにふるまって、若輩の女房などを指導する。そうでないのは番と言って、ひと月ごとにかわるがわるにお仕えせよとのお考えであったが、年の初め(一月一日)、衣替え(三月三日)、五月五日、七月七日などの、「ひひ二との御はななとには(この部分不詳)」、交代しないでそのままお仕えする。

※ひひ二との御はななとには→「(前から続いて、~の)日々、二度の『御花(おんはなな)』などには」の意味との解説も。
「二度の御花」とは後白河院によって始められた五月と九月の供花会のこととあり。

上臈女房のいる部屋は、女院様の御座所に続いた二間で、(女院様の御所である)七条殿の二棟に続いている寝殿の、北の廂の西の端である。人少なである時は、この二間を使い、多いときは、西の廂の一間を先ほどの二間と合わせて開けて、気を許すような時もなく、袖の端も少しも乱れず、服装を正して控えていた。

中臈より下の女房達は、先ほどの二間に続いた台盤所に、同じようにして控えている。近くお仕えする女房は、東の台盤所といって、先ほどの台盤所の向かい方にある部屋を通る(=部屋に入るの意味)。親しくお仕えする人々はそこにいる。この上臈の控えている二間には、御用の多いときは二三日続けて、さらに忙しいときは四五日続けて控えていることもある。

【コメント】

今回は、お側にお仕えした女房の勤務システムとそれぞれどこの部屋に控えてたかって話です。
文章に起こすと面白くない内容で。
こんなのは端折っちゃったほうがいいのかも。
ただ、こんな一寸した文章にも、建寿御前の「私たちはそんじょそこらの女房とは違うのよ」という自意識が感じられて、そこが面白いと言えば面白いかもですね。

この建寿御前日記、全部で七十段あり、できれば「清盛」が大河である内に終わりたいと思ったのですが、よく考えたら、そのためにはひと月に九段位記事にしてしていかないといけないという。
常日頃、月に5、6回しか更新しないのに絶対無理ですよね。
最近頑張って更新してるけど、それもいつまで続くことやら。

でもまぁ、タイムリーで面白そうな段は順番を入れ替えて記事にしてもいいかなとは思ってます。

★七条殿の図

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これは、本文に出てきた七条殿の予想図です。
本段と「萱の御所の火(第三十四段)」、をあわせて考え、こんな感じだと思います。

母屋→女院がいるところ。
北の廂の西側二間→上臈女房がいるところ。
北の廂の西側二間に続く西の廂→人が多いときに使う部屋。

中臈~下臈の女房の部屋がどこなのか、問題なのですが、
「中臈より下の女房達は、先ほどの二間に続いた台盤所に、同じようにして控えている。」
とあります。
ここで「先ほどの二間」が上臈女房の部屋を指すことには争いがないでしょうから、可能性としては、
1、上臈の二間の東側(北の廂)
2、上臈の二間に続く西の廂のさらに先(西の廂)
という二つが考えられます。

仮に2だと考えると、上臈の部屋と中臈らの部屋の間に臨時の拡張部屋が入ることになり、「先ほどの二間に続いた台盤所」と言えるのか疑問です。

しかし、この文章に続き
「近くお仕えする女房は、東の台盤所といって、先ほどの台盤所(中臈らの台盤所)の向かい方にある部屋に入る。」
とあります。
「東の台盤所」は東の廂にあるのでしょうし、その「向かい方」とは「母屋を挟んで向かい方」ということでしょう。
となると、先ほどの台盤所(中臈らの台盤所)は西の廂にないといけません。

よって、中臈らの部屋は「2、上臈の二間に続く西の廂のさらに先(西の廂)」ということになる筈です。
ただ、そうなると先ほどの、上臈の部屋との間に臨時の拡張部屋が入ってしまうのが問題なのですが、これは臨時部屋なのでこれも含めて「先ほどの二間」と言ったのか、もしくは中臈らの部屋の一部を上臈が臨時に使ったのかどちらかではないかと思います。
正直よく分からないので、後日何か資料でも見つけたら追記します。

 ※上記配置図は「『建寿御前日記』私注(二) 本位田重美」を参考にしています。

【建寿御前日記(本)】・・・訳したらつまんなかったかも。


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